社長インタビュー
敢えて「キビシイ」ステージを選んだ就職活動
学生の頃から自分がどこまでヤレるのか可能性にかけてみたくて、敢えて「キビシイ」と言われている会社を狙って就職活動をしました。若いうちに苦労すれば、絶対自分の力になると思ったんです。
結果、民法キー局など計4社に運良く内定。その中でももっともキビシイと思われる大手外資系SIベンダーに就職を決めました。大学では心理学を専攻していたので、IT業界はまったくの不案内だったんですけどね。とにかくタフな状況に自分を追い込みたかった。まあ、心理学を専攻したというのも、そこしか入れなかったというのが実のところなんですが(笑)。
入社半年でプロジェクトマネージャーに昇進
コンサル会社に入ったからには、システムの現場をコントロールし、直接お客様と折衝できるポジションに就きたいという希望が強くありました。でも、最初からそれはさせてくれませんでしたね。末端のプログラミングをさせられました。僕は必死で勉強して、SEからコンサルタント、さらにはいくつかのプロジェクトを統括的に管理するプロジェクトマネージャーに短期間で一気に駆け上りました。
真の顧客サービスを目指して
念願のPMに昇進し、いろんな企業と直接関わる機会が増えてきました。そうなると、もっと何か出来ることがあるんじゃないかと思ってくるんです。ただクライアントの指示通りのシステムを組むのではなく、より付加価値の高いシステムを提案してみたりしました。そこまで実現するには、クライアント側の社内体制を大幅に変える必要があったのですが、真のサービスとは何かということを考えてみると、もっと長期的なビジョンでお客様にお役に立てるかどうかという視点が必要になってくると思うんです。
偶然だった会社設立の経緯
そういう顧客サービスということを掘り下げていくと、PMという地位では物足りなく感じてきました。そこで大胆にも上層部に直談判し、役員に加えてもらえるよう、社内的にはちょっと非常識なお願いをしてみたんです。まあ、実力だけの超スピード昇進は、会社の制度上難しいということでダメだったんですけどね(笑)。
思い切って退職してしまいました。すると、進行中だったプロジェクトのクライアントからクレームが来たんです。そこで会社側は、「君の役員昇格は認められないけど、代わりに独立して会社をつくって、役員と同等の額で契約して欲しい」と言ってきました。予算6億円程度のPMを外部の人間として引き継ぐという形で、ビッグツリーキャピタルを設立したわけです。
口コミで広がっていった会社の評判と人脈
そのプロジェクトを成功させた後も、次々に仕事が舞い込んできたんです。最初は前の会社で築いた人脈からお仕事を頂くことが多かったのですが、転機になったのは、大手企業が参加するコンペに誘って頂けたことでした。案件はDPEチェーンのwebシステム構築だったのです が、小さい企業ならではの小回りとキメの細かさを活かし、運良く大手企業に競り勝って受注することができました。設立してまだ間もない企業が大手に勝ったということで、各方面から評価して頂いたんです。設立当初から2倍増の売上をキープしてこれたのも、このコンペに勝利した体験がベースになっていると思います。
高いマインドが、新しい文化をつくる
例えば、坂本竜馬。彼は江戸時代末期、日本を世界に通用する国にしようという壮大なマインドを持って行動し、大政奉還、明治維新という大きな仕事を成し遂げました。まあ、竜馬と比べるのもおこがましいのですが、スケールの大きな仕事をしたいという想いが常にあります。
ですから、当社はただのシステム屋にするつもりはまったくありません。ITというツールを利用して、新しい文化を創っていきたい。
身近な例で考えると、例えばデジタルカメラ。これの出現で、まったく新しいカメラの楽しみ方ができるようになりました。これも、ひとつの文化だといえると思います。
そういった新しい文化の創造に加わることは、とてもスリリングでヤリガイのあることだと思いませんか?先端スキルで勝負するエンジニアであるよりも、コンサルティング的な視点を持つことを要求しているのは、そのためなんです。
「文化創造」のための土壌づくり
もっと具体的に言えば、当社のメインとなる商品が欲しい。それがパッケージソフトなのか画期的なwebサービスになるのかわかりませんが、その極秘プロジェクトもカタチになりつつあります。何とかそれを、新しい文化として認められるようにしたい。
これまでの4年間でSI事業を拡大させ、会社としての基礎体力をつくり上げました。今後は同様に体力を増やしつつ、文化創造のための仕事に注力していきたい。
新しい文化の創造。それこそが当社の目標であり、そういうマインドを持った方々と一緒に大きな仕事を成し遂げてみたいですね。



